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松江地方裁判所 平成2年(ワ)91号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、金三七〇〇万円及びこれに対する平成元年六月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が右大腿部の閉塞性動脈硬化症治療のため、被告が開設し経営する島根県立中央病院で腹部大動脈―両外腸骨動脈バイパス手術(以下「本件バイパス手術」という。)を受けたところ、左足趾の血行不全を起こして左下腿部の壊死切断にいたったことから、本件バイパス手術の担当医師に医療行為の過失及び説明義務違反があったとして、被告の医療契約上の債務不履行又は不法行為(民法七一五条又は国家賠償法一条)を主張し、損害賠償を訴求した事案である。

一  争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実(証拠の摘示のない事実は争いがない。)

1  当事者及び関係者

原告は昭和一〇年六月二二日生まれの主婦であり、被告が島根県立中央病院(以下「被告病院」という。)を開設して医療業務を営むもの、A及びB(以下それぞれ「A医師」、「B医師」という。)は被告病院に勤務する医師である。

A医師は、昭和四二年一二月に医師免許を取得し、かねて心臓血管外科を専門に医療業務に従事して来ており、同六一年一月、被告病院外科に就職し、同年四月から被告病院心臓血管外科部長の職にあった(証人A)。

また、B医師は、昭和五九年五月に医師国家試験に合格して医師免許を取得し、同六〇年一一月一日付けで被告病院に就職し、同六一年四月から被告病院心臓血管外科で勤務していた(証人A、同B)。

2  本件バイパス手術までの経緯

(一) 原告は、昭和六一年一二月末ころから右足に痛みを感じ、同六二年六月ころからは五〇メートル歩くと疼痛を覚えて継続歩行も困難になり、数か所の病院を転々として治療を受けていたが、原因不明のまま治癒せず、平成元年に入ってこのような右下肢の間歇性跛行の症状が増悪していた(乙一、証人A、同武藤匡光、原告)。

(二) 平成元年五月一二日(以下、単に月日のみで記す場合の年度はいずれも平成元年)、原告は、被告病院心臓血管外科でA医師の診察を受け、骨盤内動脈に狭窄又は閉塞があり、原告の間歇性跛行はそれが原因であること、動脈の狭窄又は閉塞箇所の確認のため血管造影検査を行う必要があることを説明され、同月一九日、血管造影検査等精密検査を受けるために被告病院心臓血管外科に入院した(乙一、三、一〇、証人A、同武藤匡光、原告)。

(三) 原告は、五月一九日に血管造影検査を、翌二〇日にCTスキャン検査をそれぞれ受け、その検査結果から、A医師らは、腹部大動脈―両側外腸骨動脈間バイパス手術を施行することが必要であると判断した(甲一、乙三、一〇、証人A、同B)。

(四) 原告は手術を受けることになったため、引続き入院することになったが、希望して同月二〇日午後一時より外泊し、同月二五日午前一時帰院した。この間の同月二三日、原告は来院し、血液検査、心電図、胸部レントゲン検査等の術前検査を受けたが、心電図検査で左の方の心臓肥大、心筋肥大の所見が認められた外は異常な検査結果は認められなかった(甲一、乙三、証人A)。

3  本件バイパス手術後の経過

(一) 五月二九日午前九時半ころ、本件バイパス手術がA及びB医師の執刀のもと開始され、同日午後二時二〇分ころ、原告は本件バイパス手術及びこれに続く一度目の血栓除去術(以下「第一次血栓除去術」という。)を終えて病室に戻ったが、左下肢痛を訴え、午後六時の段階でも、症状、所見の改善が見られないため、B医師は左浅大腿動脈以下の末梢の血栓を疑い、同日午後六時三五分ころから、二度目の血栓除去術(以下「第二次血栓除去術」という。)を行なった(甲一、乙三、証人A、同B、同武藤匡光)。

(二) 同日午後七時四〇分過ぎ、原告は第二次血栓除去術を終えて病室に戻り、B医師は、原告の左下肢を挙上させると共に、付き添っていた原告の夫武藤匡光(以下「匡光」という。)に対し、原告の左下肢のマッサージを行うよう指示し、プロスタグランディンの投与と硬膜外麻酔で経過を見ると共に、六月一日からは、抗血小板剤プレタールを、同月三日からは同パナルジンなどの投与を開始したところ、左下腿から足後ろ半分までの症状は改善傾向を示したが、同月三日には左足背、足底の前半分の冷感、チアノーゼが著明となり、左足趾に壊死が認められるようになって同月一四日まで左足症状の改善は認められなかった。そこで、B医師はその旨匡光に説明した上で、同月一六日、被告病院整形外科に診察を依頼し、同月二八日、原告の左下腿切断術が行なわれた。(証拠は前項と同じ。)

二  争点

1  本件バイパス手術(血栓除去術は含まない。)上の過失の有無

(一) 原告の左足趾閉塞の原因

(1) 原告の主張

本件バイパス手術後、原告の左下肢に血行不全が起こり、左下肢を切断せざるを得なくなったのは、本件バイパス手術部位の粥状硬化性病変から微小な粥状片が流出して塞栓となったが、手術中、又は、手術終了直後に本件バイパス手術部位に形成された血栓が血流により流出し左足趾を閉塞したかのいずれかを原因とするものであって、血管攣縮のみによるものではない。

(2) 被告の主張

原告に左足部終動脈閉塞の原因は、第一次血栓除去術後に発生した左下肢の膝窩動脈以下末梢の血管の攣縮により、血流が鬱滞して血栓が左足部終動脈に形成されたためである。なお、動脈硬化症などの器質的閉塞があると、これが動脈の周囲交感神経を刺激して反射性血管攣縮を来たし、また外傷や手術時に血管壁が損傷されると血管運動神経が反射的に緊張して血流障害を来たすことがあり、外傷性血管攣縮と呼ばれる。本件では、原告は、閉塞性動脈疾患があり血管運動神経が刺激状態にあり、本件手術操作等による血管運動神経への刺激や本件手術による急激な血流量の増加などが加わって血管攣縮が起きたと考えられる。

(二) 中枢側吻合時の過失の有無

(1) 原告の主張

① 本件バイパス手術部位の動脈瘤がある辺りの血管内壁は、粥状変化、硬化性変化が著しい場所であり、鉗子で挟んだり、手術操作を加えた場合、血管の内壁が剥がれて血栓になったり微細な粒(粥状物)になって血管を流れていくところ、A医師らは、腹部大動脈と人工血管の側・端吻合後、粥状物の除去術を行った際、腹部大動脈と人工血管との吻合部の中枢側をフォガティー鉗子で遮断しているが、同鉗子は幅五ミリメートルあるもので、同鉗子で挟んだ直下も粥状変化がかなりあったと考えるべきであるから、同鉗子を外した場合、その挟んだ直下の粥状物が剥がれて微細な粥状物になって血管の中を流れて行かないようにブルドッグ鉗子は外さないで血管内を再度フラッシュ(洗浄)し、フォガティー鉗子を外したためにできた微細な粥状物を洗浄する必要があったにもかかわらず、A医師らはこれを怠り、右洗浄をしないままで、フォガティー鉗子と共にブルドッグ鉗子を外した。

② また、ブルドッグ鉗子を外す際には、その末梢側の総腸骨動脈を縫合閉鎖又は結紮をして、まだ残っているかもしれない血栓・粥状物が下肢の方へ流れないようにする必要があるところ、A医師らはこのような末梢側の総腸骨動脈の縫合閉鎖又は結紮をしていない。

(2) 被告の主張

原告の主張は争う。

① A医師らは本件バイパス手術中、左記Ⅰ、Ⅱのとおり、本件バイパス手術操作等によって血栓、あるいは動脈硬化性粥状片が左足部終動脈に飛ばないよう必要十分な処置を行なったのであり、そこに注意義務違反はない。

Ⅰ 腎動脈分岐部直下から下腸間膜動脈分岐部上部にかけて腹部大動脈の前方部分をサテンスキー鉗子及びフォガティー鉗子により部分遮断し、動脈瘤を含んだ血管壁に約三センチメートルの縦切開を行なった。その段階で、大動脈瘤は血栓を含めて切開した上、血管内部を点検して飛ぶ可能性のある部分は切除し、更に、完全遮断して再度血管内部を点検し、やはり飛ぶ可能性のある部分を取り除くなどして検討の結果、吻合可能であると判断できたのでそこに人工血管の側・端吻合を行なうことにし、ヘパリン加生食(ヘパリンを加えた生理食塩水)で血管内部を数回洗浄し、血管内に残存する可能性のある粥状片、血栓等を除去した(別紙図1、2参照)。

Ⅱ 腹部大動脈と人工血管吻合物、吻合部のすぐ中枢側で大動脈をフォガティー鉗子により完全遮断し、両総腸骨動脈をブルドッグ鉗子により完全遮断した上で、吻合部の部分遮断(サテンスキー鉗子)を解除し、血液を逆流によって人工血管両脚から噴出させ、吻合部に存在するかもしれない血栓、粥状片を除去し(別紙図3参照)、更に、人工血管左脚を遮断し、右脚からヘパリン加生食を血管内に注入、吸引して血管内を洗浄した(別紙図4参照)。また、人工血管主幹部を遮断し、腹部大動脈の血流を再開した後、その人工血管主幹より末梢部(両脚を含む。)をヘパリン加生食で洗浄し、そこに存在するかもしれない血栓、粥状片を除去すると共に血栓形成の予防を行った。

② 原告は、中枢側吻合終了の際にフォガティー鉗子を外すことによってできる粥状物除去の処置を行なわなかったのは過失であると主張するが、

Ⅰ A医師らは腹部大動脈に初めてフォガティー鉗子をかける際、同鉗子を外すときに粥状物ができて飛ばないような部位を血管造影の所見及び触診で確認していること

Ⅱ 同鉗子をかけた大動脈部位が粥状物ができないような内壁であることを大動脈の内腔から確認していること

Ⅲ フォガティー鉗子は血管を挟む部分がゴム状になっていて遮断した血管に損傷を与える可能性を最小にするよう工夫されていること

Ⅳ フォガティー鉗子を外すときに原告主張のような処置を行なうことは却ってデクランピングショックや大出血を起こす危険があり、しかも、デクランピングショックはいつでも起こり得るもので事前予測はできないこと

Ⅴ 原告は、中枢側吻合終了時にフォガティー鉗子を外すことだけを問題にするが、中枢側吻合の過程でフォガティー鉗子やサテンスキー鉗子で何回となく大動脈を遮断したり、解除したりしているが、この操作自体による粥状物に対する処置は行なうことはできないこと

などに鑑みれば、過失とはいえない。

③ 中枢側吻合終了後にブルドッグ鉗子を外すのは末梢側の総腸骨動脈を縫合閉鎖又は結紮した上でなければならないという原告の主張は、本件が端・端吻合ではなく、側・端吻合であることを理解していないもので失当である。原告主張の縫合閉鎖又は結紮を行なう場合、更にその末梢側を鉗子で遮断しなければならず、その遮断した鉗子を外すときにどう対応するのか疑問である。

(三) 末梢側吻合の際の過失の有無

(1) 原告の主張

人工血管左脚と左外腸骨動脈の側・端吻合に末梢側吻合に際し、一側の吻合が終了すれば、対脚側より人工血管内腔をよく吸引し、血栓魂を除去した後、末梢側の遮断のみを解除し、吻合部の漏れのないことを確認して再び末梢側を遮断し、中枢側の鉗子を外し、内腸骨動脈の方法に向かう部分の鉗子を外し、人工血管内血栓や大動脈壁内の硬化性堆積物が遮断解除と共に流出することがあっても骨盤腔内の領域にのみ流れ込むように配慮する必要があるところ、A医師らは左記被告の主張①Ⅲ及びⅣの操作を実施していない。

(2) 被告の主張

原告の主張は争う。

① A医師らは本件バイパス手術中、人工血管左脚と左外腸骨動脈の側・側吻合に際して、左記ⅠないしⅣのとおり、本件バイパス手術操作等によって血栓、あるいは動脈硬化粥状片が左足部終動脈に飛ばないよう必要十分な処置を行なったのであり、そこに注意義務違反はない。

Ⅰ 吻合部及び吻合部より末梢部に確認された血栓をフォガティー・バルーン・カテーテルも使用して除去した。

Ⅱ 吻合後、左外腸骨動脈の末梢側の遮断を外し、逆流で人工血管の左脚を通し右脚から血液を噴出させ、吻合部及び人工血管内に存在するかもしれない血栓、粥状片を除去した。

Ⅲ 次に、人工血管左脚を分岐部で遮断し、主幹部の遮断を弛め、腹部大動脈から人工血管右脚を通して血液を噴出させ、そこに存在するかもしれない血栓、粥状片を除去した。

Ⅳ その上で、人工血管右脚を遮断し、総腸骨動脈を外・内腸骨動脈分岐部より中枢部で遮断し、外腸骨動脈を吻合部末梢側で遮断し、中枢側で遮断を解除し、更に人工血管主幹部及び左脚の遮断を解除し、腹部大動脈―人工血管左脚―左外腸骨動脈の血流の最初を内腸骨動脈へ向け、右血流路に存在するかもしれない血栓、粥状片を内腸骨動脈流域に除去した(別紙図5参照)。

② 仮に、原告の左足趾の虚血症状の原因が、本件バイパス手術中に微小な粥状物等が飛んだことによる塞栓であったとしても、その塞栓の由来が、必ずしも、中枢側吻合終了時にフォガティー鉗子、ブルドッグ鉗子を外す際に原告主張のような処置を行わなかったことや、末梢側吻合終了の際に前記Ⅲ及びⅣの処置を行わなかったことを原因とするものではなく、そのような処置を行ったとしても本件結果が生じた可能性がある。

(四) 本件バイパス手術操作の過失の推認

(1) 原告の主張

血管外科の教科書によると、血栓形成はしばしば起こるものであり、術後極めて早期に起こるものと晩期に起こるものがあるが、手術中あるいは血行再建術終了後に起こる早期血栓の原因の殆ど全てが手術操作の失敗か、手術適応の誤りによるものといってよいとされ、また、術後早期閉塞は、①手術適応の誤り、②血管吻合手技の拙劣、③移植片選択の不適切、④手術成否判定の不適切などによって起こるが、なかでも手術終了時にその再建術が満足すべき流体力学的ならびに幾何学的条件のもとに完成されたか否かを適切に判定することが大切であるとされる。従って、仮に稲田鑑定人が判断したように「残存した小さな血栓が原因で閉塞が発生した」とした場合、本件血行再建術中あるいは直後に起こった血栓形成は、①手術適応は一応あったと考えられるし、③移植片選択の不適切というのも本件には該当しないから、②血管吻合手技の拙劣、又は、④手術成否判定の不適切によって起こったものと推認される。本件では、術後ドップラーによる血圧測定等は一応されているから、④手術成否の判定も一応なされたものとして残るのは②血管吻合手技の拙劣であり、手術操作の失敗による早期血栓が形成されたものと推認すべきである。

(2) 被告の主張

原告の主張は争う。

① A医師らは本件バイパス手術中、左記Ⅰ、Ⅱのとおり、血栓形成を防止するための処置を行なったのであり、そこには注意義務違反はない。

Ⅰ 腹部大動脈血管の手術操作に入る前にヘパリン3.5ミリリットルを静脈注射で原告の全身に投与した。

Ⅱ 人工血管―左外腸骨動脈吻合の際の血栓除去後、ヘパリン加生食を左外腸骨動脈より末梢側に注入した(なお、このときはヘパリン加生食を普段より多量に投与した。)。

② 原告が過失の推認の根拠とする文献(甲七)で述べられている血栓による閉塞は、吻合部位における血栓形成を指しているのであり、本件のごとき末梢における血栓形成には当てはまらず、原告の過失の推認の主張は失当である。

2  血栓除去施術上の過失の有無

(一) 原告の主張

血栓除去の際に末梢に残存した小さな血栓が原因で閉塞が発生したとすると、動脈における血栓除去をフォガティー・バルーン・カテーテルで施行する場合、カテーテルを末梢側から挿入し順行性に引き抜くべきところ、A医師らは中枢側からカテーテルを挿入し逆行性に引き抜いたために末梢に小さな血栓が残存し閉塞を起こしたものである。

(二) 被告の主張

原告の主張は、膝窩動脈や足背動脈のような細い動脈を切開した操作する場合の危険性を考慮しないものであって、失当である。

3  左足趾の閉塞虚血症状に対する処置の誤りの有無

(一) 原告の主張

A医師らは、本件バイパス手術後血栓による閉塞を疑いながら、大腿部から踝までの大腿動脈の血栓を除去する処置だけをして血栓が見当らないとして処置を終えているが、大腿部に血栓がなければ当然微小塞栓による左足趾の閉塞を疑うべきところ、そのような診断も処置もしなかった。

(二) 被告の主張

原告の主張は争う。

A医師らは、本件バイパス手術後の原告の左下肢の異常について、左記(1)ないし(3)のとおり対応したのであって、右対応には、時間的にも、また、血栓除去術に伴う血栓形成の危険性に対応する処置(ヘパリン、プロスタグランディンの投与)においても注意義務違反はない。

(1) 第一次血栓除去術に際しては、フォガティー・バルーン・カテーテルによって左総大腿動脈から左足首まで血栓除去術を行ない、その結果、血流の逆流は良くなり、左後脛骨動脈、足背動脈の拍動も可能になったことで、総大腿動脈より末梢の血流の改善を確認した。そして、最後にヘパリン加生食を左総大腿動脈より末梢に投与すると共にプロスタグランディンを静脈注射で全身投与した。

(2) 第二次血栓除去術については、第一次血栓除去術後約五時間で手術に踏切り、まずヘパリン三ミリリットルを静脈注射で全身投与して手術を開始した。そして、血栓除去操作後は、一パーセント・リドカイン二ミリリットルを注入してからヘパリン加生食を左浅大腿動脈より末梢部に投与し、更に血管造影によって後脛骨動脈までの血流を確認した後、ヘパリン加生食を左総大腿動脈より末梢に投与した。

(3) A医師らは、後脛骨動脈より末梢の動脈は細く蛇行しているので血栓除去術を行なうことはできないと判断し、薬物治療を行ないながら、側副路の形成、血栓の萎縮、溶解、崩壊などにより血行が改善するのを期待した。そして、薬物治療としては、プロスタグランディンの大量投与(末梢動脈の血流量増加、血小板凝集抑制)、硬膜外麻酔の施行(交感神経ブロックによる血管拡張作用に基づく末梢動脈血流増加)、プレタール、パナルジンの投与(血小板凝集等抑制)をそれぞれ行なった。なお、抗凝血剤(ヘパリン)、繊維素溶解酵素剤(ウロキナーゼ)は人工血管から大出血を来たす危険性があるため使用できなかった。A医師らの行なった左足部終動脈閉塞に対する右治療は、他に行ない得る治療法がないことから不適切であったとはいえない。

4  説明義務違反の有無

(一) 原告の主張

本件バイパス手術当日午前九時前に、B医師から匡光へ、「手術は私どもがよく行なっている非常に簡単な手術なので安心して下さい。治れば楽に歩けるようになります。」という説明があっただけで、本件バイパス手術によって血栓ができることがあり、そうなれば片足を切断せざるを得なくなるようなこともあり得る旨の説明は術前にはなされなかった。

これは、術前に手術の危険性を十分かつ正確に説明して患者の承諾をとるべき説明義務違反であるから、本件バイパス手術の結果生じた悪結果に対して被告は責任を負う。

(二) 被告の主張

原告の主張は争う。

被告病院は以下のとおり本件バイパス手術前の説明をしており、説明義務は履行している。

即ち、五月二六日、B医師は、原告及び匡光に対し、再度血管造影検査の所見、近い将来左下肢にも右下肢と同様の症状が出現するであろうこと、手術としては人工血管による腹部大動脈―両側外腸骨動脈間バイパス手術が適当であることや手術方法を説明した上で、抗凝血剤ヘパリンを使用して手術を行なうが、血栓が形成されたり、原告の動脈壁の性状からすると血管を操作しているときなどに動脈壁の粥状片が塞栓となって飛んだりして末梢動脈が閉塞される可能性があること、また、現在両下肢の血行は悪いが、人工血管によって血行が急激に改善されると筋肉が損傷され、その結果、ミオグロビンによる腎不全が起こる可能性があることなど手術の危険性について詳しく説明した。原告及び匡光はこの説明を聞いた上で原告が手術を受けることを承諾し、手術承諾書に署名押印した。

5  原告の損害

(一) 原告の主張

合計金三七〇〇万円

(1) 逸失利益 金二〇〇〇万円

左下腿切断は、後遺障害別等級表第五級の5に相当する後遺障害であるから、その労働能力の七九パーセントを喪失したものと評価され、原告は左下腿切断当時五四歳であり、その就労可能年数は一三年、ホフマン係数は9.821、五四歳女性の平均年収は二六九万三四〇〇円として計算すると、その逸失利益は金二〇〇〇万円を下らない。

(計算式)

269万3400円×9.821×0.79=2089万6986円

(2) 慰謝料 金一三〇〇万円

原告は、左下腿切断の結果、義足を着け、歩行訓練を受けているが、外出、家事なども思うに任せず、痛みもあり、今後一生不自由な生活を余儀なくされることになったのであり、切断手術に要した入通院慰謝料及び下肢切断の後遺障害に対する慰謝料としては金一三〇〇万円が相当である。

(3) 弁護士費用 金四〇〇万円

被告の負担すべき弁護士費用としては、金四〇〇万円が相当である。

(二) 被告の主張

原告の主張は争う。

第三  判断

一  本件バイパス手術上の過失の有無について

1  証拠(甲一、五ないし一一、乙一ないし一一、証人稲田洋、証人A、同B、同武藤匡光、原告、鑑定、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

(一) 本件バイパス手術前の経緯

(1) 五月一二日、A医師が被告病院心臓血管外科外来を受診した原告を診察したところ、原告の右足の総大腿動脈、膝窩動脈、後脛骨動脈、足背動脈はいずれも脈拍を触知せず、左足は微弱ながらも各動脈の脈拍を触知し、右下肢は左下肢に比較してやや冷感、貧血様、筋肉萎縮気味との所見を認め、指尖脈波検査(足の指の爪の上から光を当てて血流を調べる検査)では左右各第二、第三趾とも血流が極めて少ないが、左の方が比較的良いと認めたので、A医師は原告に対して、骨盤内動脈左右両側に閉塞ないしは高度の狭窄があり、原告の間歇性跛行はそれが原因であること、動脈の狭窄又は閉塞箇所の確認のため血管造影検査を行なう必要があることを説明した。

(2) 五月一九日、B医師がシネ・アンギオ検査室で原告に対し血管造影検査を行ない、原告の左鼠径下部から総大腿動脈に経皮カテーテルイントロデューサーを穿刺し、腹部大動脈へカテーテルを挿入してその先端を腹部大動脈の腹腔動脈分岐部まで入れ、造影剤イオパミロンを注入して血管造影を行なった結果、腹部大動脈には大きな動脈瘤は認められなかったものの、腎動脈下部一センチメートル程おいて下の方から下腸間膜動脈が出る辺りまで血管壁の不整、血管内部の狭窄が認められ、また、腹部大動脈が総腸骨動脈に分かれた直下辺りには強い狭窄があり、特に右側に狭窄がより強く、更に、右内腸骨動脈は造影されず、右外腸骨動脈との分岐部で完全に閉塞状態であり、左総腸骨動脈には強い石灰化、狭窄が認められた。ただし、左内腸骨動脈は閉塞ではなく開存しており、左外腸骨動脈はその内径ともにさしたる病変は認められなかった。

血管造影検査が終わった後、A医師、B医師を含む心臓血管外科のスタッフがフィルムを見ながら検討を加えた結果、狭窄より上の血液を両下肢に誘導するバイパス手術が必要ということで結論は一致したが、変化が強いこともあり、その危険性も含めて術式等を協議した。

(3) 翌二〇日に施行したCTスキャンの結果も、腹部大動脈に動脈硬化性の内膜片を認め、内腔は不規則に狭小化しているが、大動脈の径の拡張や解離腔の形成はなく、動脈硬化症の大動脈という結論であり、血管造影検査による所見を裏付けるものであったため、A医師らは、血管造影検査の異常所見は動脈硬化性病変によるものであると判断し、原告の間歇性跛行はこれら動脈硬化性病変に基づく狭窄に原因があり、現在は右下肢の症状だけで左下肢には症状は見られないが、これはより血行の悪い右下肢の症状によって右下肢の症状がマスクされているためであって、早晩、左下肢にも右下肢と同様の症状が出現するであろうことが十分考えられると判断した。そして、人工血管によるバイパス術を両側外腸骨動脈に施行することが必要であるが、中枢側吻合部位としては、下腸間膜動脈分岐部より下部の腹部大動脈は血管壁の不整が強いので、それより中枢側にあたる腎動脈分岐部付近を選択した方がよいと判断した。

なお、開腹を伴う術式を避けるとすれば、腋窩―両大腿動脈間バイパス術も考えられるが、将来開腹手術を受ける必要性もあること、腋窩―両大腿動脈間バイパス術を受けた患者の中には術後に右手や左手の運動時に痛みを訴えることもあること、鎖骨下から両大腿まで人工血管の距離が長いために、閉塞の可能性が高く、血流量が十分でないこともあり得ることや原告の年齢を考慮して、A医師らは腹部大動脈―両側外腸骨動脈間バイパス術の方が有利と判断した。

被告病院で原告以前に行なわれた末梢血管の手術症例数は四七、原告と同様の腹部大動脈を手術した症例は二六、七であった。

(二) 本件バイパス手術の経過

(1) 五月二九日午前八時過ぎ、原告は麻酔前投薬の筋肉注射を受け、同九時ころ、手術室に入った。

同日午前九時一〇分ころ、A医師は手術室に入り、術前の所見、手術前の主治医のB医師が原告にどのような説明をしているか、人工血管の準備などを確認し、麻酔操作を待つ間に臨床実習の島根医大生にこれから行なう本件バイパス手術の説明をし、B医師と本件バイパス手術の術式の再確認をした。

麻酔担当の大嶋医師は、原告の左肘部皮下静脈に血管を確保した上で側臥位にて硬膜外麻酔のためのチューブを挿入して固定し、仰臥位に改めて全身麻酔のための気管内挿管を行ない、次いで左僥骨動脈に動脈圧モニターラインを、更に右内頚静脈に中心静脈圧モニター兼点滴ラインを確保した。本件のように末梢血管を操作する場合には、血管攣縮が起こる危険があるが、これをある程度予防するのに硬膜外麻酔は有力とされる。

手術直前、A医師が原告の上・下肢動脈の脈拍を診たところ、右下肢動脈の脈拍は触知せず、左下肢動脈も、左総大腿動脈の拍動は弱く、それより末梢の部分でははっきりした拍動を認めることはできなかった。

(2) 同日午前九時三三分ころ、A医師らは本件バイパス手術を開始し、腹部大動脈を検討したところ、下腸間膜動脈分岐部より約三センチメートル中枢側に小指頭大の動脈瘤が認められ、そこで後腹膜を切開して直接見てみると、動脈瘤の壁は極めて薄く、内部に黒いものが一つ透けて見え、それは比較的新しい血栓であるとA医師らは判断した。

ちなみに、血の魂は初めは瑞々しく赤いが、時間が経つと鉄分が変化して黒変し、更に時間が経つと水分が抜け鉄分が更に変化して茶変するとされ、一般的に黒い血栓は血液が凝固してから長時間経過したもので一日以上、短くとも五、六時間以上経過しておる、赤い血栓は血液が凝固してから五、六時間以下とされる(証拠A、鑑定)。

A医師らが総腸骨動脈等を触診、視診してみると、両側の総腸骨動脈は石炭化が顕著で、拍動は触知せず、外腸骨動脈は両側ともやや浮腫気味だが、比較的軟らかく吻合に問題はないと思われ、内腸骨動脈は、右側は拍動がなくて硬いので閉塞しているようだが、左側は右側と比較して軟らかく開存していると思われ、下腸間膜動脈は大きく、拍動もよく触知したので、術前の所見と一致していると判断した。

そこで、A医師らは、まず小指頭大の大動脈瘤を調べ、これが仮性大動脈瘤で限局性のものであれば、予定通り側・端吻合を行ない、また、腹部大動脈全体に及ぶ広範囲のものであれば、大動脈を完全離断して端・端吻合を行なうことにした。

(3) A医師らは、人工血管を自己静脈血とフィブリン糊でプレクロッティングしてから、内部に余計な血液が残って血栓とならないようヘパリン加生食を注入して洗浄した後、血栓形成防止のためにヘパリン3.5ミリリットルを全身投与し、腹部大動脈をフォガティー鉗子で縦に完全遮断し、減圧下にこの動脈瘤を含んだ腎動脈分岐部直下から下腸間膜動脈分岐部上部にかけて腹部大動脈前方部をサテンスキー鉗子を用いて部分遮断し、その後、減圧用のフォガティー鉗子を半分ほど浮かして部分遮断にして(別紙図1参照)、動脈瘤を含んだ血管壁に約三センチメートルの縦切開を行なった。すると、瘤部分には比較的新しい黒い血栓とその周囲に茶色い血栓の存在が認められ、その周囲は肥厚した壁で、この部で狭窄を形成していたので、薄い瘤壁を含め吻合口になり得るように血管壁を切除して血栓を切除した。

A医師らは、更に、血栓が大動脈の背側にもないかを確認するために、フォガティー鉗子とセテンスキー鉗子を使用して腎動脈下部と下腸間膜動脈下部でそれぞれ完全遮断し(別紙図2参照)、下腸間膜動脈はブルドッグ鉗子で遮断して大動脈壁の検討をしたところ、腹部大動脈は瘤が存在した部分で最も狭く、そこより末梢はやや拡大しており、陳旧性の血栓は瘤を中心とした部分だけで大動脈全周には及んでおらず、他はCTスキャン検査所見(乙二)と同様、内膜が肥厚しているだけであった。粥状変化が強かったのは動脈瘤の周辺であり、動脈瘤の周囲には少し瓦みたいな茶色い血栓があり、その下の方は粘膜や内膜が剥がれやすい状態になっていたが、老人性の全身的な変化ではなく、限局性の動脈炎による動脈瘤と判断された(なお、原告は、手術記録〔乙三・八〇ページ〕に「著明粥状変化」という記載があることから、原告の腹部大動脈には相当広範囲に粥状変化があったはずであると主張するが、乙三・七九ページの図を含めた記載からすれば、寧ろ、動脈瘤部分について「著明粥状変化」すなわち粥状変化の程度が顕著であったとの趣旨に解され、大動脈全般に広く変性があったという趣旨とは必ずしも読み取れず、乙二、証人A、同Bの各証言に照らし、原告の主張は採用できない。)。また下腸間膜動脈分岐下部で一部石灰化の著明な部分を認め、血管壁内部の粥状変性物を除去し、ヘパリン加生食で大動脈内壁を洗浄した。そして、ブルドッグ鉗子を外して下腸間膜動脈の逆流を調べたところ、良好であったので、腹部大動脈の切断を行なわず、そこにY型人工血管(一六×八ミリメートル)の側・端吻合を行なうことにした。

(4) そこで、A医師らは、腹部大動脈を再び元のように部分遮断し、血流がゆっくり流れるところができて血栓を形成しないようにY型人工血管主幹部を三センチメートル程残して斜めに切断し、その断端を出血防止のために帯状フェルトを咬ませて腹部大動脈の切除部分に血栓ができにくい三―〇プロリーン糸を使用して連続縫合で吻合を行なった。

(5) 吻合終了後、A医師らはフォガティー鉗子で吻合部のすぐ中枢側で大動脈を完全遮断し、左右の総腸骨動脈をブルドッグ鉗子で遮断した上で、中枢側のフィガティー鉗子を一時弛めて人工血管の両端から一端ずつ血液を噴出させ、人工血管内を洗浄し(乙三・八〇ページ、証人B・平成六年五月二七日付け証人尋問調書〔以下、尋問期日が数期日にわたる証人調書は、期日の早い順に「証人調書①」のようにいう。〕一二八頁)、サテンスキー鉗子を解除して逆流によって人工血管両脚からフラッシュし(別紙図3参照)、更に、人工血管左脚を遮断して右脚から吸引管を挿入し、ヘパリン加生食を血管内に注入し、また、吸引したりした(別紙図4参照)。そして、吻合部近くの人工血管手術幹部をケリー鉗子で遮断し、フォガティー鉗子を解除して大動脈の遮断を解除し、吻合部の出血のないことを確認した上で、左右総腸骨動脈のブルドッグ鉗子を解除した。更に、人工血管内に残った血液を吸引し、ヘパリン加生食を注入して洗浄した。

(6) 次に、A医師らは、人工血管の左脚をS字結腸間膜下を通し、左外腸骨動脈との端・側吻合に移った。左外腸骨動脈との吻合を次に行なったのは、右内腸骨動脈が閉塞しているので、左外腸骨動脈から内腸骨動脈に血栓を誘導して排除するためであり、内腸骨動脈は足の方へは行かず、仮に左側内腸骨動脈を損なってしまっても、下腸間膜動脈が十分働いているから問題になることが少ないとA医師らは考えていた。(乙三、八、一〇、証人A・証人調書②一七七頁、二〇五頁以下、同③一三〇頁)

A医師らは、外腸骨動脈を内腸骨動脈との分岐部下約二センチメートル及び約七センチメートルのところでテフロンテープ及びブルドッグ鉗子で完全遮断し、血管壁を約二センチメートル縦切開したところ、中枢側から末梢側へ、細く、少し黒っぽい血栓が認められたのでこれを除去した。A医師は、この血栓は二週間以内にできたものではないか、カテーテル検査と関係があるのかもしれないと考えた。

更に、末梢での血栓形成防止用にヘパリン加生食を注入するために末梢側の遮断を解除したところ、逆流に伴って黒っぽい血栓が現れたので、長さ約四〇センチメートルの三Fフォガティー・バルーン・カテーテル(外径約0.956ミリメートル)を一杯まで(膝関節くらいまで届く。)浅大腿動脈及び大腿深動脈に挿入して血栓除去を行なった。血栓除去は、通常どおり、五センチメートル、一〇センチメートル、一五センチメートルというように何回にも分けて少しずつ深くしながらどこに血栓があったのかを確認できるような操作方法で行ない、その結果、血栓が除去されたが、血管造影を行なうために穿刺した部位よりも先の方での血栓除去はなく、逆流もきれいになったので、血栓除去としてはそれで十分と判断してそれ以上長いカテーテルを使用しての血栓除去は行なわなかった。

そして、生食一〇〇ミリミットルに対しヘパリンを三ミリリットルの割合で加えて通常より濃く作ったヘパリン加生食一回二〇ミリリットルを五回と多めに末梢側に注入した上で再び末梢側を遮断し、人工血管左脚と左外腸骨動脈との端・側吻合を行なった。

(7) 吻合終了後、A医師らは、左外腸骨動脈の末梢側の遮断を外し、下肢の血液を人工血管左脚に逆流させて右脚から噴出させ、次に人工血管左脚を起部で遮断し、人工血管主幹部に掛けたケリー鉗子を解除し、腹部大動脈から人工血管右脚に血液を噴出させて人工血管内を洗浄し、更に、人工血管右脚起部を遮断し、総腸骨動脈を外・内腸骨分岐部より中枢側で遮断し、左外腸骨動脈を吻合部末梢側で遮断し、中枢側遮断を解除し、人工血管左脚の遮断を解除して腹部大動脈からの最初の血流を内腸骨動脈に向かわせ(別紙図5参照)、その一、二分後外腸骨動脈末梢側遮断を解除して左下肢の血行を再開した。この段階で、左鼠径部で動脈の拍動を調べると、左総大腿動脈の拍動はよく触知された。

(8) 続いて、A医師らは同様に右側の処置を行なったが、右側は血栓を内腸骨動脈に回すことができず、大動脈主幹部などの血流は一応ウォッシュアウトされていることから、右側の血栓が仮に人工血管の中にあったとしても、右脚の中だけなので、単にウォッシュアウト(縫合の最後の一針をせずに血液を噴出させる方法による。)しただけであり、右側外腸骨動脈を切開した限りでは血栓は認められなかった。(証人A・証人調書②二三〇項以下)

(9) 第一次血栓除去術

A医師らは、右外腸骨動脈と人工血管右脚との側・端吻合終了後、後腹膜縫合、腹壁縫合を行ない、午後一時ころ、本件バイパス手術を終了したが、シーツを取ってみると、原告の左下腿中央部から末梢側が蒼白で貧血状態であり、左後脛骨動脈、足背動脈の拍動の触知が不良であることから、血栓が飛んだ可能性があると判断し、直ちに原告の鼠径部を消毒して切開し、左総大腿動脈の浅大腿動脈と大腿深動脈との分岐部を露出し、左総大腿動脈、浅大腿動脈、大腿深動脈をブルドッグ鉗子で遮断して深大腿動脈分岐部上約一センチメートルに横切開を加えたところ、そこの動脈壁は肥厚し、やや浮腫気味で軽い狭窄状態を呈していたが、切開部での血栓は認めず、三Fフォガティー・バルーン・カテーテルを使用してまず浅大腿動脈の方から血栓除去術を行なったところ、膝関節までの深さのところでやや黒っぽい血栓と少し赤い血栓を少量除去した。A医師らは、この血栓が普通ならばないはずのものとすると、他所から移動してきたと考えられ、まだ先の方にも移動している可能性があるので、更にカテーテルを深く挿入して足関節を超えるまで血栓除去術を行なったが、膝関節以遠での血栓は認められず、浅大腿動脈の逆流は良くなった。次いで、大腿深動脈の血栓除去術を行なったが、血栓は認めなかった。それを終えた後、末梢に血栓ができにくいようにするためにペハリン加生食一回二〇ミリリットルを二回注入・洗浄した上で縫合して第一次血栓除去術を終え、プロスタグランディンを点滴の中に入れた。これは、血栓で血管が詰まったりして末梢部に虚血状態が起こると末梢の血管が過敏状態になり、血管痙攣が起こりやすくなるので、血管痙攣を防ぐこと、血管を拡張して早く循環を良くすること及び血液の血小板の機能を抑制して血栓形成を抑制することを目的とするものであった。

この段階で、左下肢の膝窩動脈はよく触知し、後脛骨動脈も触知したが、足背動脈はよく分からなかった(原告の帰室後の状況につき看護婦の記録では、左足背動脈が触知する旨記載してあるが〔乙三・九九ページ〕、手術場では触知しなくても、時間の経過でスパズムなどが取れるなどして触知するようになったのではないかと思われる。)。A医師らは、皮膚の色は膝関節から下腿の方まで赤味が増し、血行が改善しつつあると思われたことから再度の血栓除去は不要と判断し、午後二時前手術終了となった。

A医師らは、除去した血栓を壊してみたが、内部に黄白色の血栓内膜や茶・汚穢食の壁在血栓や粥状物は認めなかった。

(三) 本件バイパス手術後の経緯

(1) 同日午後五時一五分過ぎ、B医師が原告を診察したところ、原告の左下肢は冷たく、鬱血状態であり、左後脛骨動脈、足背動脈の拍動は触知できない状態であり、午後六時の段階でも、ドップラー血流計で左後脛骨動脈の血流音を聴取できたが、症状、所見の改善が見られなかった(乙三、証人A、同B、同武藤匡光)。

(2) 第二次血栓除去術

同日午後六時三五分ころ、原告は病室を出て手術室に移り、A医師が診察したところ、左足部は貧血状で冷感を認め、大腿動脈、膝窩動脈の拍動は明確に触知されたが、後脛骨動脈の脈拍は弱く(B医師が後脛骨動脈をドップラー聴診器で診察したところ、機械が使いにくいせいか触知しなかった。)、足背動脈は触知しなかった。

A医師らは、第一次血栓除去術での皮膚切開部を再び開放し、左総大腿動脈を露出して第一次血栓除去の際の切開部より末梢で浅大腿動脈起部近くに切開を加え、ヘパリン三ミリリットルを全身投与した。大腿深動脈はよく触知していたので血栓除去の必要がないと判断したので、三Fフォガティー・バルーン・カテーテルを浅大腿動脈に挿入し、血栓除去を行なったが、カテーテルは何の抵抗もなく足関節を超えて曲がるところまで入って行くようで血栓は確認できず、血栓ではないようだという印象を受け、血管の鬱縮も考えられたため、キシロカイン(商品名リドカイン)という筋肉を弛緩させる薬を投与してスパズムを取り血管を開いてイメージという移動式の持続X線装置で下肢動脈に狭窄ないし変化がないかを造影検査したところ、造影剤は膝窩動脈も簡単に超え、足背動脈の方はよく分からなかったが、後脛骨動脈の方にずっと降下して行き、膝関節を越え、足関節を越えて足の方へ入って行くのが見えた。比較的その流れは良好だったので、足の方にまで血液はかなり流れているとA医師らは解釈し、足の血行も改善するのではないかと予測し、また、足背動脈は比較的細く、一ミリメートル位しかなく、カテーテルも三Fより細いものがないので、足背動脈を切開してそこからやはり一ミリメートル位のカテーテルを入れてこすって血栓を取り出すことは寧ろ血管を損傷することが多く益がないし、細いビニールチューブを入れて生理食塩水でフラッシュするという方法も、足背動脈の血栓を後脛骨動脈の方に押し流してしまい、後脛骨動脈を詰まらせてしまうことになりかねないなど危険があり、この段階で足背動脈にそのような措置を取ることは躊躇して、経過を見ることにした。

造影後、動脈切開部からヘパリン加生食を注入して縫合し、血栓除去術を終えた。

術後、後脛骨動脈の拍動は良好になった。

(3) A医師らは、術後は血栓形成、血管の攣縮防止に重点を置いて経過を監察して行くことにし、術後管理としては、当初は、人工血管を使用しているために、大量出血を来たす恐れのある血栓溶解剤(ウロキナーゼ)、抗凝血剤(ヘパリン)の大量投与は控え、プロスタグランディンの投与と硬膜外麻酔を持続的に使うことによって痙攣を抑えていくことにした。血行再建術後では、三、四日間、プロスタグランディンを一日六〇マイクログラム当たり点滴静脈注射を行ない、末梢血管攣縮の解除に努めるべきものとされているところ、A医師らは一日朝夕合計八〇マイクログラムを投与することとし、六月三日からは一日一二〇マイクログラムを投与することにした。また、硬膜外麻酔は、当初はレペタンを、六月二日午後三時からはマーカインを随時投与した。他に血小板の作用を抑制するため六月一日からプレタールを、六月三日からパナルジンを投与した。

術後一日目、三日目と血清酵素の上昇を認め、左足部の虚血及び足部循環の存在を示すものと考えられ、その間、左足部はやや浮腫気味だったが、除々に血色が足関節から足部へ改善して行くように見えた。

手術翌日以降、A医師らは毎日原告を診察したが、左膝窩動脈はよく触知し、左後脛骨動脈も弱くはあるが良好に触知し(A医師の診察による。なお、B医師が入院診療録に左後脛骨動脈が触知しないと記載したのは、浮腫があると血管までの距離が遠くなり、圧迫の仕方によっては分かりにくくなるので、そのためではないかと思われる。)、左足背動脈は余り触知しなかった。

A医師らは、足背動脈に外科的操作を施すことの危険性を考慮し、末梢にできた血栓が褪縮・崩壊したり、血栓内の血管形成や側副路形成から血行が改善することを期待して外科的措置は執らず、薬物投与をしつつ経過観察を継続した。

六月三日になると、足の真ん中辺りで皮膚の温度は良好で、それより前の方が鬱血気味だったが、まだ壊死状態ではなく、はっきり壊死状態と分かったのは六月七日だった。

壊死したのは左足趾だったが、踵を残して切断をしても義足が作りにくく、その後のリハビリも考えて、左下腿切断を選択した。

2  原告の左足趾閉塞の原因(争点1(一))について

(一) 下肢における急性動脈閉塞の原因としては一般的に塞栓、血栓、動脈攣縮が考えられ、塞栓とは、左心疾患、特に心房細動や僧帽弁狭窄症等による心内血栓、動脈瘤内の壁在血栓、又は、動脈硬化性の粥状片等が遊離して末梢部の動脈分岐部に引っ掛かるものをいい、血栓とは、一般に血液性状の変化、血流の鬱滞、血管壁の変化等により血管内で血液の凝固が起こるものをいい、局所性の条件として動脈壁に外傷、動脈硬化、動脈瘤、炎症等があると、その部に血栓が生じ易く、また、既に生じた動脈閉塞の上下では血流が遅くなるために二次血栓が発育し易いことが認められる。更に、動脈硬化症等の器質的閉塞があると、これが動脈の周囲交感神経を刺激して反射性血管攣縮を来たし、閉塞による動脈血行障害を更に悪化させることがあり、この血管収縮は動脈血栓や塞栓、閉塞性血栓血管炎の際に特に著明に現れ、また、外傷や手術時に血管壁が損傷されると血管運動神経が反射的に緊張して閉塞や離断など器質的障害がなくても血流障害を来たすことがあるが(外傷性血管攣縮という。)、この場合、反射性血管攣縮も加わるといわれている。(甲五・一四七ページ以下、乙六・一二二ページ以下、証人稲田、同A・証人調書②三八九頁、鑑定、弁論の全趣旨)

(二) 本件についての検討

(1) まず、原告の左足趾を壊死に至らしめた左下肢動脈の閉塞部位については、

① 本件バイパス手術前には、膝窩動脈、足背動脈、後脛骨動脈のいずれも拍動所見が±であり、ほぼ正常であったと考えられること(乙三・三ページ、七ページ、鑑定)、

② 第一次血栓除去術直後に足背動脈は触知できたが、第二次血栓除去術直前には足背動脈は触知不能となり、第二次血栓除去術中の左下肢血管造影では、膝窩動脈、後脛骨動脈、更に足部まで造影剤が進入しているのに対し、前脛骨動脈から足背動脈には造影剤の進入を確認できず、足背動脈の拍動も触知できず、術後も足背動脈の拍動を触知していないこと(乙三、一〇、証人A、同B)に照らせば、本件バイパス手術開始後、第二次血栓除去術終了までの間に左下肢の前脛骨動脈から足背動脈に閉塞が生じたと推認するのが相当である。

この点、原告は、壊死を起こしたのが左足趾であったことを前提に、左足趾の動脈が閉塞した(足関節部での拍動が良好に触知できるにも拘らず足趾が壊死に至る所謂ブルー・トウ・シンドローム〔BLUE TOESYNDROME〕、甲一一)と主張する。

確かに、入院診療概要録(乙一)、入院診療録(甲一、乙三)の記載や証人Bの証言によれば、壊死したのは左足趾であったと認められるが、壊死部分が直ちに動脈閉塞部であるとは限らず、中枢側で閉塞したために末梢側で血栓が形成された足趾から壊死を起こすことも考えられるところ、本件では左足のほぼ半分位まで虚血性の変化が認められ(甲一、乙三、証人A・証人調書②三八一項、三八六項以下、同③二一二頁、二二五頁、同B・証人調書①二七三頁)、そのまま放置すれば壊死部分は更に足趾を超えて広がったことが推認され、足趾よりも中枢側に閉塞があったと考えるのが合理的であるし、足関節部での拍動が良好に触知できる場合を前提とし、従って更にその中枢側の拍動も触知できることを前提とすると思われる所謂ブルー・トウ・シンドロームが前脛骨動脈から足背動脈の拍動が触知できない本件の場合に直ちに当てはまるとは認め難く、原告の主張は採用できない。

(2) 次に、左下肢の前脛骨動脈から足背動脈に閉塞を生じさせた原因については、本件バイパス手術前には、膝窩動脈、足背動脈、後脛骨動脈のいずれも拍動所見が±であり、ほぼ正常であったと考えられ、閉塞性病変のない動脈で機能、形態上正常の状態にあれば、その部位で血栓を形成することは考えにくく(乙三・三ページ、七ページ、鑑定)、他方、原告のような動脈硬化症の患者について、本件のように何度も血栓除去のためにカテーテルで下肢動脈を刺激した場合には攣縮が起こり易いことから、左下肢動脈に起きた攣縮が前脛骨動脈から足背動脈に閉塞を生じさせた原因の一つであると推認するのが相当である。

ただ、膝窩動脈から前脛骨動脈と後脛骨動脈・腓骨動脈への各分岐の仕方から、浅大腿動脈から下方に血栓除去する際にはカテーテルは前脛骨動脈には進まず、後脛骨動脈ないし腓骨動脈に進んで行く頻度が高く、また、第二次血栓除去術の際にカテーテルを足関節を越えるまで挿入していることから、下腿においてはカテーテルは腓骨動脈や前脛骨動脈ではなく後脛骨動脈を走行したと推認され、それゆえ、攣縮が起きたとすれば、前脛骨動脈よりも後脛骨動脈の方が可能性が高いと思われるが、実際には後脛骨動脈は開存し、寧ろ前脛骨動脈が閉塞したことを考え併せると、攣縮のみを前脛骨動脈ないし足背動脈の原因と見るのは無理があり、攣縮に加え、機質的に動脈の閉塞を来たす塞栓が前脛骨動脈ないし足背動脈に存在していたと推認するのが合理的である(証人稲田、鑑定)。

そして、もし、遊離、着床した塞栓が動脈に比べて大きければ、その部位で直ちに高度の狭窄や閉塞を来したと思われるが、前脛骨動脈ないし足背動脈から血栓、塞栓とも除去されていないのに第一次血栓除去術直後に足背動脈は触知でき、第二次血栓除去術直前には足背動脈は触知不能となっていることから、少なくとも前脛骨動脈ないし足背動脈にはそれらに比して大きな塞栓が遊離、着床したものとは考えにくく、本件バイパス手術ないし第一次血栓除去術中に小さな塞栓が遊離、着床し、それが核となって、その部位における血流障害によって周囲に血栓を除々に形成して大きくなったり、あるいは、動脈の攣縮による動脈径の縮小によって血流の狭窄ないし閉塞を招き、内腔に血栓を形成して、結局、動脈に高度の狭窄や閉塞をもたらしたと推認される(証人稲田、鑑定)。

なお、この点、被告は、①微小な粥状物が末梢に飛んだのであれば左右平等に飛んで閉塞を起こすはずであり、また、血栓除却術の際に小血栓が飛んだとしても、動脈の走行から、前脛骨動脈ないし足背動脈に飛ぶより後脛骨動脈に飛ぶ可能性が高いが、実際には右足にも後脛骨動脈にも閉塞を起こしていないし、②足背動脈の末梢の方に塞栓が起きて血管が閉塞されるともっと早い時期に壊死が起こるはずであるが、六月七日くらいまでは壊死症状がはっきり現れてこなかったことから、これらはいずれも考えにくく、手術の経過、血管造影の経過から見て血管の攣縮のみが原因である旨主張し、証人Aもこれに沿う証言をしている。

しかしながら、微小な粥状物がどのように血管の中を流れて行くかは血流の問題であって、必ず左右平等に飛ぶとか後脛骨動脈の方に飛ぶということは認められないから、(証人稲田・二八三項)、被告の主張①については理由がないし、同②については、動脈閉塞による壊死に至る経過の一般的な速度に関する客観的な裏付証拠はなく、また、証人稲田が証言するように、五月三〇日に原告が左下肢痛を訴えたところから壊死に至る過程が進行していると見れば、必ずしも壊死に至る経過が緩徐過ぎるともいえず、この点は見解の相違に過ぎないといえるので、やはり、足背動脈に塞栓があった可能性を否定することはできない。

(3) そこで、更にその塞栓の由来を検討するに、鑑定人稲田の鑑定意見は本件バイパス手術中に左外長骨動脈から血栓除去をした際に末梢に残存した小さな血栓か、第一次血栓除却術中に左浅大腿動脈から血栓除去をした際に残存した小さな血栓がその後末梢へ遊離して左足脛骨動脈ないし足背動脈に着床したものと推測する一方、本件バイパス手術中の吻合操作によって粥状物、壁在血栓等が遊離した可能性については、中枢側吻合部位の粥状変化が著明でなかったことやA医師らが行なった吻合操作の方法等に照らし可能性は低いとし、仮にそれらが塞栓として末梢側に遊離したとしても、左外腸骨動脈に存在した血栓や第一次血栓除去術の際に左浅大腿動脈に存在した血栓に引っ掛かる可能性があるとして、否定的な結論を出しているが、中枢側吻合部位の粥状変化の程度自体は著明であったことは前記のとおりであるし、A医師らが行なった吻合操作の方法によっても粥状物、壁在血栓等が遊離する危険を一〇〇パーセント防止できないと思われること(それが過失と評価されるか否かは別論。)からすると、粥状物等の遊離の可能性を否定できないし、それらが末梢側に存在した他の血栓に引っ掛かることも、あくまで可能性の域のことと思われるから、吻合部位から遊離した粥状物等に由来する可能性も考慮せざるを得ない。

そこで、右の検討結果を踏まえてA医師らの過失の有無を更に検討する。

3  中枢側吻合時の過失の有無(争点1(二))について

(一) 原告の主張①について

前記認定した事実によれば、腹部大動脈の血流を再開したときに、殊更フォガティー鉗子で挟んだ直下の粥状物が剥がれて微細な粥状物になって血管の中を流れて行かないようにブルドッグ鉗子を外さないで血管内を再度フラッシュするという操作は行なわれなかったものと認められるが、他方、

(1) 人工血管の中枢側を吻合後、両総腸骨動脈をブルドッグ鉗子で遮断した後(別紙図3参照)、中枢側のフォガティー鉗子を一時弛め、人工血管の両端から一端ずつ血液を噴出させ、人工血管内を洗浄したこと、

(2) 原告の腹部大動脈は、老人性の全身的な変化ではなく、限局性の動脈炎による動脈瘤とみられ、周囲に著明な病変が広範囲に存したものではなく、フォガティー鉗子で挟んだ部分に強い粥状変化が存した蓋然性は乏しいこと(乙三、一〇、証人A・証人調書②一四〇項以下、同③五項〜一二〇項、同B・証人調書②三二項)、

(3) フォガティー鉗子は血管を挟む部分がゴム状になっており、血管に損傷をできるだけ与えないように工夫されていること(鑑定)等が認められ、これらによれば、フォガティー鉗子で挟んだ部分に粥状物があった可能性自体必ずしも高いとはいえず、仮にあったとしても、(1)の操作でウォッシュアウトできた蓋然性が高いと認められるし、左下肢への血流再開の時に原告主張のような操作をした場合には、血液によるウォッシュアウトを繰り返すことによる失血やデクランピングショックの危険があること、中枢側吻合に際し、フォガティー鉗子は終始一定部位にかけたままではなく、何度か位置をずらして大動脈を遮断したり部分遮断ないし解除したりしていること(ブルドッグ鉗子がかかったままでそのような操作が行なわれていること)(証人稲田・一五項、二六三項以下、二九九項、同B・証人調書②二九項以下、七二項以下)をも併せ考えると、A医師らに過失があったとはいえない。

(二) 原告の主張②について

「現代外科手術学大系 2B 血管の手術Ⅱ 神経の手術」(乙八)中の「両側総腸骨動脈閉塞に対するバイパス手術」の項には、大動脈を切断し、吻合部の大動脈内腔を洗浄し、一度遮断を外して上部より血流フラッシュした後、末梢側の大動脈を縫合閉鎖又は結紮する旨の記載があることが認められるが、これは正に大動脈を切断して中枢側切断口と人工血管とを吻合する端・端吻合の場合に、末梢側の大動脈の切断口をそのまま放置する訳には行かないための必然的措置と認められ、本件のような側・端吻合には直ちには当てはまらないことは明らかであるし、動脈を結紮する場合は常にその末梢支配領域の阻血性壊死の可能性を考慮する必要があり、外傷などにおいても重要動脈の結紮は最後の手段とされていることからして(乙七・九五ページ)、粥状物が末梢に飛ぶのを防止するためとはいえ、このような危険な措置を敢えて執るべきとはいえず、この点に関する原告の主張は失当である。

4  末梢側吻合の際の過失の有無(争点1(三))について

(一) 原告の主張①について

証拠(乙三、九、一〇、証人A、同B)によれば、前記認定したとおり、A医師らは、被告の主張①ⅠないしⅣの操作を行なった事実が認められ、原告主張の過失があるとはいえない。

右の点に関し、手術記録(乙三・八〇ページ)の記載上は、被告の主張①Ⅲ、Ⅳの操作がなされたとは当然には読み取ることはできないが、手術後一定時間経過後に、その手術内容をまとめて記載する場合に、およそ実際になされた操作の全てが必ず逐一手術記録に記載されるとはいえず、重要度に応じて記載密度に濃淡があり、あるいは当該手術に当然髄伴する操作について端折った記載になることは考え得るところ(乙一〇、証人稲田・一〇二項以下、二九五項以下、同A、同B)、被告主張の操作は被告病院心臓血管外科のA医師らにとって、日常的ないしは経験の豊富な操作であったし、本件以後ではあるが、その術式を医学雑誌に公表しているくらいであり(乙九)、かつ、いずれも血管外科の専門的知識と技術を持つ術者なら五分以内に終了するもの(鑑定)、あるいは、手間はかかるが簡単な操作である(証人A、同B)とされることから、いつもやることだから書かなかったのではないかとする証人Aの証言(証人調書②一四五項以下)、あるいは、「腔内をウォッシュアウトさせた」という手術記録の記載(乙三・八〇ページ)は一連の操作全てを含んでいるとする同Bの証言(証人調書①一四九項以下)は特に不合理とはいえない。ちなみに、人工血管右脚の吻合のための操作について右手術記録の記載(乙三・八〇ページ)は、「同様に右外腸骨動脈との吻合を行なった。」というだけの簡略な記載に止まり、B体的なウォッシュアウトの方法などの記載はない。この点からも、手術記録にB体的な記載がないことをもって前記各操作が行なわれなかったと直ちに推認できない。また、被告の主張①Ⅲ、Ⅳの操作以外の、粥状物の飛翔や血栓形成を防止するための操作・措置については、A医師らは前記認定したとおり、相応の配慮をし、かつ、実践しているのであって、まして、A医師は、術前に島根医大生の実習のために本件術式の説明までしていることを考えると、特に右操作のみを怠ったとも想定し難く、また、手術時に突発的現象が生じて手術現場が混乱し手術手順に狂いが生じたことを疑わせる事情も証拠上窺うことはできず、他にそれらの証言等の信用性を疑わしめる事情も認められないから、A及びB医師が被告主張①Ⅲ、Ⅳの操作を行なったものと認めるのが相当である。

5  本件バイパス手術操作の過失の推認の可否(争点1(四))について

「血管外科ハンドブック改訂第2版」(甲七)中の川崎医科大学教授勝村達喜執筆担当の「14 血管手術の合併症」と題する項には、血行再建術後の合併症としての早期血栓の原因の殆ど全てが手術操作の失敗か手術適応の誤りである旨の医学的知見の記載があることが認められる。

しかしながら、同項の「表14―1血行再建術後の合併症とその対策、治療」には、血栓の対策は術中ヘパリン使用と共にグラフト(人工血管)のねじれを防ぐことであり、血栓の治療は血栓摘除及び一度吻合を解除して再縫合することである旨記載され、また、血栓形成に対する術中・術後の注意の一つとして、血行再建終了時に血栓が疑われるときは直ちに血管縫合部を開いて確かめるくらいの心構えを持つことが挙げられていること、「新外科学大系 20A 血管・リンパ系の外科Ⅰ」(乙七)中の同じく勝村達喜執筆担当(但し、稲田洋との共同執筆)の「Ⅱ、術後合併症と術後管理」の項によれば、吻合部及びグラフトの術後早期の閉塞は、吻合手技、グラフトの屈曲、不適当な吻合部位の選択などによって発生するとされていること(一一三ページ)を併せ考えると、甲七において問題としている「早期血栓」とは専ら吻合部位及びクラフトでの血栓形成をいい、本件のような末梢での閉塞まで当然に予定しているとは解し難いし、そもそもそこにいう「手術操作の失敗」が直ちに法的意味における過失を意味するとはいえず、寧ろ、単なる「不成功」をも含む広い意味で理解するのが相当であって、そこから直ちに過失の推認まで導こうとする原告の主張は根拠に乏しいというべきである。そして、これまでの検討でA医師らの施術に過失があったとは認め難く、血栓形成防止のための処置をした事実も認められるから、過失を推定することはできない。

二  血栓除去施術上の過失の有無(争点2)について

フォガティー・バルーン・カテーテルを血管末梢側から逆行性に入れて順行性に抜くという手技は、血栓を取るという点に限れば、カテーテルを中枢側から入れて逆行性に抜くという手技よりも優れていると評価され得るが(証人稲田)、元々、いずれの手技にせよ、血管を切開してカテーテルを出し入れした上縫合するということ自体、切開部位の内膜を痛め易いもので、その手技を施す動脈が細いほどそのために閉塞を起こし、壊死の範囲を却って大きくしてしまう危険があり(証人稲田の証言によれば、足関節から逆行性にカテーテルを入れて血栓除去をし、そのために術前より阻血症状が酷くなった症例もあるという。)、どちらの方法を選択するかは血栓の取り除き易さと細い動脈に対して施術することの危険性とを勘案しなければならず、原告主張の手技方法が血栓除去の際に通常一般的になされるものとは認められないし(甲七、一〇、一一、証人稲田、同B)、また、本件においては細い動脈に対して施術することの危険性よりも血栓を取ることを重視すべきであったという事情を認めるに足る証拠もないから、細い動脈に対して施術することの危険性を重視して原告主張のような手技方法を取らなかったB医師らに過失があるとはいえない。

三  左足趾の閉塞挙血症状に対する処置の誤りの有無(争点3)について

証拠(乙三、一〇、証人稲田、同A、同B)によれば、前記一で認定したとおり被告主張の事実(第二・二・3・(二))が認められ、A医師らとしては、原告の左足趾の異常に対して執った措置に不適切な点があるとは認められず、過失があるとはいえない。

四  説明義務違反の有無(争点4)について

1  証拠(乙三、証人A、同B、同武藤匡光、原告)によれば、原告は五月一二日にA医師の診療を受けた際、今後実施する検査結果を見てバイパス手術の実施を検討しなければならない旨説明を受けていたが、更に、同月一九日、主治医となったB医師によってシネ・アンギオ検査室で血管造影検査を受けた際、フィルムを見ながら病変部位の状況とバイパス手術の必要性の説明を受けたこと、同月二〇日、更に、B医師はA医師らとの前記第三・一・1・(一)・(2)、(3)の検討結果を踏まえ、シネ・アンギオ検査室において、匡光に対し、血管造影の写真を見せながら原告の病変部位の状況、手術の必要性及び手術内容につき説明し、そのような本人及び家族への説明を経て原告は本件バイパス手術の実施を承諾し、その準備のため同日一旦自宅に戻り、同月二五日右手術を受ける決意の下に帰院したこと、そして、同月二六日に、B医師は、原告及び匡光に対し、本件バイパス手術の内容及びその合併症として大動脈粥状化片が塞栓となって腎動脈や末梢小動脈に詰る危険性があることなどを説明したこと、その際合併症の危険につき特に匡光が不安感を示していたが、最終的に同日付け手術承諾書(乙三・七七ページ)に署名捺印したこと(原告の署名は匡光が代行した。)、なお、A医師は、同日外科病棟に偶然行き合わせた際にB医師が原告と匡光を前にして説明しているのを見かけており、その後、B医師から、原告らに合併症の説明をすると、大丈夫でしょうかと匡光が何度も質問して話を進めるのに時間がかかり、厄介であった旨聞いたことが認められる。もっとも、入院診療録中には、B医師が原告らに合併症等につき詳細な説明をした旨の五月二六日付け記載があるが、その記載は五月二七日付け記載の後になされているところ、同月二八日に右記載をしたという証人Bの証言内容は必ずしも納得がいくものではない上、同入院診療録には五月二九日に第二次血栓除去術を行なう前に原告又は匡光にしたはずの説明についての記載が全くなく、六月一一日、一四日に左足趾血行不全に関して家人にした説明についての記載は簡略になされていること(乙三・一五、一六ページ)と比較して五月二六日付け記載は殊更に詳細かつ周到になされていて不自然さを否めず、右記載は本件手術後に原告側とのトラブルの発生を意識して記入された疑いがあり、全面的には信用し難いが、前記認定の限度では信用性を是認して差し支えない。

これに対し、証人武藤匡光は、右のような合併症についての説明は事前になされておらず、五月二九日の本件バイパス手術前の午前八時四五分ころにB医師から手術承諾書(乙三・七七ページ)への署名捺印を求められた際、自分の方から手術内容の説明を求めたところ、B医師がその場合で手術内容を青鉛筆で図示するなどして説明したので、右承諾書に自己名義の署名捺印と併せて原告名義の署名捺印をしたが、その際、B医師は本件バイパス手術が極めて安全で簡単な手術である旨の説明しかしなかった旨証言し、匡光作成の報告書(甲三)にも同趣旨の記載が存する。しかしながら、原告は、夫匡光からB医師作成の青鉛筆書きのメモを見せられたのは、手術の当日であったか前日であったか判然としない旨供述しているが、もし手術直前の緊張状態の中で右のような出来事があったとすれば、鮮明に記憶に残ると思われるから、原告の右供述はむしろ右出来事が手術当日でないことを示唆しているとみるのが相当である。また、そもそも、手術開始直前の時刻に、担当医師が時間をかけて家族に手術内容を説明するというのも不自然である。この点に関し、証人武藤匡光は、その時点で初めてB医師に会い、同医師が主治医であることを知ったため、手術内容の説明を求めたと証言しているが、前記認定のとおりB医師には同月二〇日に匡光に対し説明をしており(この点につき、同証人は、同日説明したのはA医師であった旨証言しているが、主治医であるB医師が説明を行なったとする証人Aの証言に照らし信用し難い。)、首肯し難い。よって、証人武藤匡光の前記証言部分及び報告書の記載は採用できず、また、原告の供述中前記認定に反する部分も曖昧かつ不自然な点があり採用できず、他に前記認定に反する証拠はない。

そして、前記認定のB医師の原告及び家族に対する説明内容を勘案すると、本件バイパス手術に関し必要な説明がなされていると認めることができる。

2  仮に、B医師が五月二六日に原告及び匡光に対し前記認定のような合併症の危険を含めた説明をした事実がないとしても、証拠(甲三、証人武藤匡光、原告)によれば、原告は昭和六一年一二月末以来右下肢の痛み、間歇性跛行に悩み、幾つかの病院で診療を浮けたが原因不明のまま治癒されずにいたこと、原告は、原告同様の症状を持つ知人が被告病院でバイパス手術を受けて下肢の痛みが治癒したことを知り、同様の治療により右下肢の痛みから解放されると思って被告病院の診療を受けたこと、前記のとおり、B医師は五月一九日に原告に対して血管造影のフィルムを見せながら病変部位及び手術の必要性を説明し、翌二〇日には匡光に対しレントゲン写真を見せながら、病変部位や手術方式を説明すると共に、左足も一四、五年すれば同様になるだろうから今回同時に両方共バイパス手術をするよう勧め、このような原告及び家族に対する説明の結果、原告は何らのためらいもなく手術を承諾し、その後もA医師らに対する強い信頼感の下に、手術の実施につき何らの迷いや不安感を持つことなく手術に至ったものであり、すなわち原告はいかなる医療措置をとるにつき被告病院の医師の判断に全面的に委ねる姿勢であったことが認められる。そして、前記第三・一・1・(一)・(1)ないし(3)の認定事実によれば、原告の症状からすれば早晩血管バイパス手術が必要であったと認められるし(早晩悪化が見込まれる左側を含め左右同時に手術を実施することは合理的な選択であったと思われる。)、また、他に代替可能な非侵襲的治療方法や危険性の低い治療方法を選択する余地が存したことは本件証拠上認められず(精々バイパスのルートの選択の余地程度に止まる。)、このような原告の姿勢や本件治療方法の選択の合理性等に照らすと、仮に原告が事前に本件バイパス手術の危険性についての説明を受けていたとしても、敢えて本件バイパス手術を拒み、右下肢の痛み、間歇性跛行を放置して悪化するに任せ、更に左下肢が同様になることも甘受したとは想定できず、いずれにせよ本件バイパス手術を受けることを承諾したものと推認される。そうだとすれば、本件は結果として重篤な合併症を伴ったものの、B医師らの説明義務の不履行と本件の結果との間に相当因果関係は存しないし、原告が自己決定権行使の機会を喪失したことによる精神的損害を肯認すべき事案であるとも認め難い。

第四  結論

よって、その余を判断するまでもなく、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

別紙 〈省略〉

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